日航スチュワーデスの制服に使われてる“赤”が俄愛国主義を呼びさます

人間は赤い色を見ると興奮します。ファディッシュな皮膚感覚に基づきながらも、その実、理性的部分を残す“感性”といった言葉からは大きく掛け離れた気分が襲ってくるのです。それは、ある種、狂信的ペイトリオティズム(Patriotism)にも似た気分であります。闘牛における赤い布は、その好例でありましょう。興奮は、赤い色を使った国旗を見た際にも、同様に起こります。多くの為政者たちは、そのことを知ってか知らずか、赤い色を国旗の中へと取り込みました。たとえば、ヨーロッパ三三カ国のうち、赤い色を使っていないのは、五カ国だけです。本来はリベラルな思考を行っているのであろう私たちもまた、個人としてのアイデンティティーが不安定な状態になる海外へ出かけた際に“日の丸”を見ると、それが“君が代”同様、忌《い》まわしい記憶を呼び起こさせる代物《しろもの》であるにもかかわらず、変に愛国主義者的感動をすることがあります。赤い色を使っているからです。

今回、墜落事故を起こした日本航空についても、同じことが言えるでしょう。赤い色を使ったマークだからです。おまけに、日本的叙情性をかき立てる鶴《つる》です。国会議員、官僚、財界人、文化人という名の人々、マスコミ関係者たちには幇間《ほうかん》を演じ、けれども実際に運賃を支払って搭乗《とうじよう》する一般人はカーゴ同然に扱うことの多い、その日航の体質を批判する他企業の海外駐在員たちも、日本へと帰国する際に空港で鶴のマークを見つけると、「あー、日本人でいて良かった」などと、これまた、俄愛国主義者となってしまうのです。「日航って、嫌《きら》いさ」などと悪態をつきながらも、ついつい日航機を利用する人たちは、日本人特有の判官贔屓《ほうがんびいき》と、赤い色をした鶴のマークが持つ叙情性との間で、アンビバレントな気持ちを抱いているのでしょう。そうして、飛行機という科学の産物に鶴のマークという組み合わせは、海外のブランドを積極的に展開することで、高級、かつ新しいイメージを獲得しながらも、同時に、高度経済成長と共に豊かになった人々を安心させる“箱庭感覚”を忘れなかった西武と同じ、新しい器に日本的感覚を盛る作業でした。そうして、更にもう一つ、日航の女性クルー、女性地上職の制服が、紺と赤の原色を使っている点も、アンビバレントな日航への想《おも》いをつのらせることとなっているかもしれません。

森英恵《はなえ》女史のデザインによる、紺と赤の、その制服からは、昔、一世を風靡《ふうび》したニュートラの匂《にお》いが漂って来ます。以前から僕《ぼく》が述べているように、ニュートラは男性を欲情させる洋服です。それは、たとえば、吉原や銀座に働く女性たちの制服が、今もなお、似非《えせ》シャネル風スーツだったり、原色を使ったブレザーやワンピースだったりすることからも窺《うかが》うことが出来ます。ニュートラ少女と一緒に歩いていた少年が穿《は》いていることの多かった、ファーラーというブランドのダブル・ニット・パンツの素材に酷似した日航の制服は、ですから、その色合い、布地、デザイン、すべてにおいて、ニュートラなのです。

もっとも、ご存知《ぞんじ》のように、ニュートラを着ていた女子大生やOLの多くは、我がままな気分屋さんでした。やっとのことでお知り合いになれた中年のおじさんが、お金をかけてデートしたとしても、彼女たちは最後に訪れたケーキ屋さんで、けだるそうに左手で長い髪の毛をかき上げながら、「でもおう、今日は、やっぱし、オウチにー、帰らないとお」と気のない返事をしていたかもしれません。

金銭を多く使った人ほど、その分、いいことが期待出来る、ある意味では極めて自由主義経済の精神にのっとった吉原や銀座の女性と違って、同じニュートラを着ていても、単なる金食い虫でしかなかった女子大生やOLに、中年のおじさんは怒りを覚えました。けれども、「ごめんねえ」と甘えた声を出されると、ニュートラのスクウェアなデザインが従順そうな雰囲気《ふんいき》に今度は見えて来て、ついつい、「いいんだよ」と言っちゃったりしました。

ニュートラ・ブームが過ぎ去って、原色を使わないソフト・トラッドの洋服を、もちろん、語尾を伸ばす喋《しやべ》り方はそのままなものの、多くの女子大生やOLが着るようになってしまった今、亭主《ていしゆ》関白気分から脱却出来ない日本人男性にとって、日航の制服を着た女性は貴重な存在です。ですから、接客する側の彼女たちにとっては不幸なことに、運賃という名の金銭を払って搭乗して来た、“サービス”という単語の真の意味を怖《おそ》れぬ日本人乗客の大多数は、ニュートラの制服を見た瞬間、コール・ボタンを必要以上に押して彼女たちを忙しくさせることで、日頃《ひごろ》の満たされない気分を解消したい衝動に駆られるのです。

蝶《ちよう》という日本的叙情性がモチーフの森英恵女史と違って、全日空の制服をデザインした芦田淳《あしだじゆん》氏は、大空に対する子供の憧《あこが》れにも似た色合いのスカイ・ブルーと瑠璃《るり》色を選びました。そうして、翼からも赤い色を使ったマークが次第になくなり、制服と同じ色調のロゴに変わりつつあります。私たちが、海外で日の丸や鶴のマークを見た時と同じような奇妙な気持ちを抱かずに全日空に乗れるのは、一私企業に対する判官贔屓ばかりからでもない気がします。

今の日航にとって必要なのは、他の週刊誌の搭載を再開する中で、相変わらず、「〈日航747乗員が緊急発言〉ジャンボは全機点検しなおさねば不安だ」なる記事の載った『週刊朝日』9月13日号は搭載を中止したり、「来年七月に変更予定だった制服は、事故の四九日が過ぎた後に考え直します」などと広報部が発言することで、嵐《あらし》の過ぎるのをジッと耐えることではないでしょう。予想された通り沈黙を続ける直木賞“日航”作家も、たとえば、『週刊現代』に連載の「サラリーマン発奮学」で、「意気消沈している社員のモラールを高めるため、女子社員の制服を早期に変えたい」くらいの発言はされてみたらいかがでしょう。それも、ニュートラ・トリコロールカラーを使わない制服にです。少しは、日航女子社員の間で、彼への人気が出るかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です