イモツバシ少年とインゲボルグ少女のカップルが日本の活力のヒミツ、との“学術的見解”

その昔、『an・an』の「今週の眼《め》」に「日本の活力のヒミツ」みたいな文章を書いたことがあります。一言で言ってしまえば、「大卒女子の採用に大手企業が積極的でないのが、日本の活力のヒミツだ」といった内容です。

もう少し詳しくご説明いたしましょう。所謂《いわゆる》、偏差値が高い大学を卒業した少年たちは、ご存知《ぞんじ》のように、大手企業に入社するわけであります。一般的に、学生時代、それほど女の子に恵まれていなかった、たとえば、一橋大学あたりを卒業した少年たちは、朝から晩まで、一所懸命に働きます。ですから、大学時代同様、相変わらずガールフレンドを見つけることが出来ないのです。

たとえば、慶応大学あたりを卒業して大手企業に入社した少年たちは、イモツバシ大学を卒業した同僚よりは、少なくとも恵まれた女性関係のある大学時代を送っては来ていることでしょう。プリンス・ヒロのママがご卒業遊ばされた広尾の女子大の女の子なんぞとペロペロちゃんやグリグリちゃんをしていたかもしれません。

けれども、さすがに社会人ともなると、やはり同じように朝から晩まで、一所懸命に働きます。年下なものだから、まだ在学中だったり、あるいは卒業後、家事手伝いと称するプータローをやってるプリンス・ヒロのママの後輩とデートする回数は、徐々に、そして確実に減っていくこととなります。

ところで、こうした大手企業では、短大や高校を卒業した少女たちがOLをやっています。日本の活力のヒミツは、ここから佳境に入ります。短大時代、悪い男の子とお付き合いしてたものだから、赤坂レディス・クリニックのお世話になったことも一度や二度では済まないタイプである、たとえば、山脇《やまわき》や川村なんぞを卒業した少女たちは、そろそろ、相手のフェイスのひどさなどには目をつむって永久就職を考えなくてはと、作戦を立てます。

イモツバシ大学を卒業した、恋愛し慣れていない、そうして、それほど、頭の回転が早いわけでもない、社内では平均点の少年は、こうしたインゲボルグ少女がモーションをかけてくると、「ウーム、やっぱり、立派な会社に入ると、俺《おれ》もモテるようになるんだ」、彼女の過去も知らないまま、ゴールインしちゃいます。

一方、青短や学短あたりを卒業した未《いま》だにレイヤード感覚の抜け切らない、ごく一般的OLの少女も、大手企業には大勢います。彼女たちは、学生時代、児童文学研究会や野草の会で知り合った駒《こま》トラ、早トラファッションの少年との清く美しく、そして淡いお付き合いの想《おも》い出を心の片隅《かたすみ》に仕舞い込んで、永久就職の相手を社内で見つけようとします。

慶応大学あたりを卒業した少年は、気まぐれなプリンス・ヒロのママの後輩に、そろそろ、音を上げ始める頃《ころ》です。残業でデートがつぶれたりするとブリブリ怒られてしまうからです。そうした時、“男の仕事は厳しい世界だ”ってことを知っているレイヤードOLから優しくされると、つい反動で、これまた、ゴールインしちゃったりするのです。

では、「就職差別」を受けた、英文タイプも英会話も出来ます、みたいな偏差値の高い大学を卒業した少女たちは、どうしているのでしょう。彼女たちは、所謂、かるーいジャンルの企業に就職しています。日本興業銀行よりも、むしろ、日本長期信用銀行が喜んで融資をしちゃうような、そうしたジャンルです。

こうした企業に勤めている少年は、彼女たちよりも一般的には偏差値の低い大学出身かもしれません。学生時代に付き合っていた、当時、短大生の女の子は、赤坂レディス・クリニックにカルテの残る、今は大手企業のOLだったりします。学校のお勉強は苦手だった少年です。けれども、バイタリティはあります。

と、なぜか、不思議なことには、学生時代は、そうした少年を心底、バカにしていたはずの優秀な、けれども、もちろん遊び慣れていない少女は、その彼のバイタリティを新鮮に感じて、ゴールインしちゃったりするのです。

以上三つの例は、いずれも、残業が多くて、会社以外に異性と知り合う場のないことが原因であります。が、皮肉なことには、そのために、メンデルの法則が拡大適用されて、たとえば最初のカップルには、フェイスが良くてお勉強の嫌《きら》いな遊び人の男の子と、フェイスが悪くて、でも、お勉強は大好きな女の子が生まれたりするのです。そうして、第三のカップルには、その逆の男の子と女の子が生まれたりするのです。

「これこそが、日本の活力のヒミツである」。僕は以前から、こうした考えを持っていたのです。その昔のイタリアなんぞが、農村出身の優秀な若者が官僚となる途《みち》を次第に閉ざしていくことで血が濁ってしまい、衰退していったことをも考え合わせると、ますます、“学術的見解”であります。

板橋区巡りの項でも述べたように、全国各地から種々雑多な人間が寄り集まって作られた東京の強さも、似たところにある気がします。一見《いちげん》さんお断りの店がほとんどないのも、東京らしさであります。その東京に、季刊『東京人』なる代物《しろもの》が御目見得しました。

発行は、財団法人、東京都文化振興会。編集委員は、粕谷一希《かすやかずき》、芦原義信《あしはらよしのぶ》、高階秀爾《たかしなしゆうじ》、芳賀徹《はがとおる》の各氏。「いま、東京は面白《おもしろ》いという囁《ささや》きに呼応して、その面白さの奥行きと広がりを模索し、東京と東京人の品位と趣味を高めることに役立つ生活雑誌」であります。

常にファッドなものを吸収出来るピチピチした皮膚が衰えてしまったオジさんたちのノスタルジー雑誌が『サントリー・クォータリー』以外にも登場か、と、この欄の獲物現るって感じで読んでみたのですが、この頃は敵もさるもの、「埋立地もいいね」みたいな発言も載っていて、「ウーム」と思ってしまいました。

もっとも、「住みにくいから面白い東京」という編集委員による座談会のタイトルから、うかがえるように、“東京の様々な歪《ゆが》みが、かえって良さなのだ”みたいなノリが、ちと、気にかかります。“過去に目をつむって”日本学を確立せんとする宰相と京都学派の皆さまと、ある種、通じる美学があるように思えるからです。

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