「純文学」から「中間小説」へ転身した

「これからは、ファッションだぜ」という感じで、新聞社がファッションづいております。それぞれに傾向の違うデザイナーを外国から何人も呼んできて、ごちゃ混ぜオムニバス・ショーを開いてみたり、かと思うと、新進気鋭と称する日本人デザイナーを集めて、置き屋の遣《や》り手ババアよろしく、バイヤーへのお披露目《ひろめ》ショーを開いてみたり、結構、盛り上がっているのです。

中には、夕刊の第一面にファッション業界物語を連載している新聞もあります。「今日から、お前は、ファッション担当だあ」と言われてしまった、つい先日まで経済部の記者をやってた人が、記事を書いているのです。遂《つい》には、今シーズン、ファッション・ショーを開催する会場を各メーカーに無料で提供しちゃう、太っ腹な新聞社まで登場しました。商業紙としては世界一の発行部数を誇る読売新聞が、その新聞社であります。

千人余りを収容の黒いテントを、西新宿の高層ビルの谷間にドカーンと二つ。おまけに、基本的照明、音響設備までをも無料で、というのですから、モデルの出演料、プロデューサーへの演出料、コレクションの縫製料なんぞで、一回のショーに二千万円近くのお金がかかるメーカー側にしてみたら、まさに、救世主現る、でありました。なんてったって、そこで浮いた三〇〇万円余りを、他《ほか》のことに使えるわけなのですから。

かくして、今までは、四月から五月半ばまでの一カ月半にもわたって、あっちこっちの会場で開かれていた秋冬物のコレクションが、今年は、四月一五日から二七日までの約二週間に集中。しかも、なぜか、読売新聞の企てにヘソを曲げて、わざとラフォーレ赤坂やラフォーレ飯倉《いいくら》で開催したビギ・グループ以外は、そのほとんどが、西新宿の二つのテント、もしくは文化服装学院の遠藤記念館を使って、でありました。

空調が悪かったり、会場整理がなってなかったり、と幾つかの不満はあったものの、「やっと、これで、日本もフランスっぽいノリのファッション・ショーが開けるようになったわ」と、毎シーズン、契約している日本の出版社のお金でパリのテントまでショーを見に行ってるスタイリストやライターたちは、感激。例年なら、九月半ばから一〇月一杯かけて開かれる春夏物のコレクションも、どうやら、今年は読売新聞主導の下、二週間にまとめて、西新宿のテントで、ってことになりそうです。

ところで、今回の東京プレタポルテ・コレクションは、一五日の午後、川久保玲《れい》がデザインしたコム・デ・ギャルソンからスタートしました。コム・デ・ギャルソンといえば、山本耀司がデザインするワイズと共に、ボロ・ルック、カラス・ルックという黒を基調にした、いかにも、観念的なフランス人が喜びそうな作品で、一時代を作ったブランドであります。当時、それは、広島生まれの三宅一生《みやけいつせい》が、広島市民の誰《だれ》もが抱く衰えゆく自分の足への不安を、“一枚の布”という形で表現したのと同様、ある種の思想性を持った作品だと評されました。

インタビューでのスナップ写真も、常に考え込むような表情である川久保玲は、ストレプトマイシンを服用している病弱のリセを連想させる作品を、今回もステージの上で展開しました。そして、同じ日の夜九時からショーを行った山本耀司は、昔、川久保と仲が良かった頃《ころ》、体よりもやたらと大きな黒い服を作っていたことなど、きれいさっぱり忘れてしまったかのように、カラフルな色合いの体にフィットした普段着でコレクションをまとめてみせました。それは、際立《きわだ》った違いでありました。

大方のファッション関係者たちは、「山本の豊かな才能を再認識した」という感想を述べました。けれども、カラス服を出す前、山本の作っていた洋服が、女性雑誌『モア』あたりが好んで取り上げていた、何の変哲もない「キャリア・ウーマン」ファッションであったことを知る僕《ぼく》にとっては、一時期の彼のカラス服が、川久保とは違って単なる箔付《はくづ》けのために利用したのでしかなかったことを、改めて思い知らされたような気がしたのです。

たとえば、山本が現在作っている男物のパンツは、そのほとんどが、テイジン・メンズショップで売っていても、ちっとも違和感を感じさせない、ごくごく普通の代物《しろもの》です。けれども、テイジン・メンズショップよりも値段の張るそのパンツを、ありがたがって買っていく若者がいます。それは、カラス服という「純文学」的作品で評価を得た山本の「中間小説」的作品だからです。如何《いか》にしたら、多くの人々に受け入れられるごく普通の作品を、ある種の権威性を持たせた上で展開できるか、という商売の目利《めき》きに優れていた彼は、だからこそ、川久保に接近することで、彼女の持っていたエキスを吸い取ろうとしたのです。

無欲な芸術家である川久保のショーに集まる一般の観客が、正に失語症的な人たちであったのに対して、山本のショーに集まるそれらが、ファッションとしての失語症を楽しんでいるような、多分、最低限の礼儀すらもわきまえないであろう、似非《えせ》っぽさを持った鼻持ちならない人たちであったことからも、そのことはわかるでありましょう。一見、哲学者風な表情をする山本は、けれども、その目は笑っています。険しい目付きの川久保とは、この点でも、違いを見せるのです。

繰り返しますが、多くのファッション関係者は、今回のコレクションについて、山本の更なる飛躍と、川久保の停滞、という捉《とら》え方をしました。川久保の更なる深化と、山本の俗化という風には捉えなかったのです。それは、サントリー的なるものが世の中の空気である今の日本においては、当然、予想された意見ではありました。

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