雑誌の“ご推薦”は嘘《うそ》ばかり。 懐《ふところ》を痛め、かつ主観的に、「田中康夫の嫌《きら》いな店」

街中の書店で売ってるレストラン・ガイドやグラビア雑誌の紹介ページで絶賛されているレストランというのがあります。ついつい、それらを参考にして、もちろん期待をした上で、お出かけします。けれども、裏切られてしまうことがあるのです。先日も、そうした体験をしました。

三国清三氏なるシェフが出した「H冲el de Mikuni(オテル・ド・ミクニ)」は、四谷の学習院初等科裏手にあります。古い洋館の内装を綺麗《きれい》にして、このところ流行《はや》りの一軒家のレストランです。ガールフレンドと一緒に出かけた僕《ぼく》は、窓際《まどぎわ》の席に案内されました。

変な匂《にお》いがします。犬や猫《ねこ》を一杯、飼っているウチ特有の匂いです。黒服を着た給仕頭に、そのことを告げると、「そうですか? チーズの匂いじゃありませんか?」。そう言いました。でも僕も彼女も、匂いを感じるのです。「席を変えていただけませんか」。いかにも、わがままそうな顔付きの女の子とディナーしちゃってる、電通のバッジを胸につけた男性の坐《すわ》る横を通って別のテーブルへ案内してもらいました。

そこは、廊下を隔てて反対側にある窓のない部屋です。けれども、相変わらず、深呼吸すると、匂ってきます。「マルチーズも、チーズの一種だったかしら?」。ガールフレンドは、そう言うと、メニューを手に取りました。一万円のコース・メニューを選択するお客が九割近いという、このお店は、六月一三日号の『週刊文春』で山本益博氏が、「まぎれもなく大人が遊べるレストランである」と絶賛されております。大人が遊べるレストランならば、ア・ラ・カルトで頼むお楽しみをも、満喫させてくれるはずです。そう思って、メニューの説明を受けようとすると給仕頭の二番手にあたる黒服は、何も商品知識がありません。いちいち、奥の方へ聞きに行くのです。「まあ、出来たばかりだからね」。僕にしては珍しく、優しい心で包み込んであげながら、前菜と魚料理を頼みました。

けれども、僕の目の前に置かれた、スズキの香草入りソースは、おびただしい数の香草がプカプカと浮いています。まるで、モミの木の葉っぱをしゃぶっているみたいです。「ちょっと、これ、飲んでみて」。彼女に言われて、今度は、イサキの上にキャビアの載った代物《しろもの》のソースを一口、飲んでみました。塩の固まりをなめているみたいです。ミネラル・ウォーターをゴックンしてから、もう一度、挑戦《ちようせん》してみます。同じ結果です。昨今、フランスで流行の“大人が楽しめる味”は、こうした珍味なのかもしれません。まだまだ、大人になり切れない“永遠のモラトリアム少年”である僕は、そう思いながらも、ついつい給仕頭を呼んで、「シェフに食べてもらって下さい」と言ってしまいました。

「コースと違って、イサキが倍以上の大きさでしたので、それと同じ比率でキャビアも入れました。塩辛いのはそのせいです」。戻《もど》ってきた給仕頭は、当たり前という表情で答えました。びっくりしました。答えになっていないからです。友人の家へお呼ばれされて、若奥さんの失敗作を食べさせられるのとは訳が違います。プロの料理人の作品を、お金を払って食べに来たのです。魚が倍以上の大きさだったから、キャビアもその分、増やす、などという作業が、どのようなソースの味を作り出すことになるのか、三国シェフは、知らなかったのでしょうか。まるで、原因は安物のキャビアを持ってきた原材料屋にあるかのような答えを頂戴《ちようだい》したイサキのプレートは、六五〇〇円というお値段でした。「マキシム」でも滅多にお目にかかれないプライスです。

「俺《おれ》と行けば、全然、味が違うよ。あいつ、緊張して作るからさ」。かねてから「三国シェフは、料理の天才だ」と喧伝《けんでん》していた『ブルータス』の編集者に、この一件を伝えると、そう言いました。ますます、僕はびっくりしました。一見《いちげん》のお客にも、常連と同じサービスと料理を提供するのが、優れたレストランであるという考えを持つ僕には、到底、信じられないことです。その昔、『モア』の女性編集者が、同じく、僕が最低のサービスと料理であると確信した、コース・メニューしかない、けれども、山本氏は絶賛する西麻布の「クイーン・アリス」を、「私たちが行くと、特別のア・ラ・カルトを作ってくれるから、好き」と言っていたのを思い出しました。

新小岩のキャバレーに勤めていた方がお似合いな「クイーン・アリス」の給仕頭は、多分、お金を溜《た》めてやって来たに違いない『モア』の読者とその彼という雰囲気《ふんいき》のカップルが、ナイフとフォークの使い方を間違えると、クスクスと笑いました。けれども、僕の前に置かれたプレートに三回も毛が入っていようと、また、ワインにコルクが浮いていようと、あやまろうともしませんでした。そうして、「サービスとは何かを考えていただきたいです」と石鍋《いしなべ》裕シェフに告げると、一言、「ああ、そうですか」と答えました。

多分、自分のお金では行ったことがないであろう『ブルータス』や『モア』の編集者、そして、人間フォアグラ氏が好むレストランを、一回だけで評価するのはフェアではないかもしれません。けれども、『ギド・ミシュラン』と同じ客観的ガイドを作ると広言する山本氏は、去年、一度も「オランジェリー・パリ」を訪れていないのに、否定的評価を『グルマン1985』に載せました。『グルマン1984』を初めて出した段階では、「マダム・トキ」「ル・レカミエ」「伊万里《いまり》」へは一度しか足を運んでいませんでした。載っていた評価は、いずれも、否定的なものです。

お給料やアルバイト代を溜めた若者は、不幸にもこうした“客観的”ガイド・ブックや、自分の懐を痛めたことのない編集者の書いた提灯《ちようちん》記事を参考にして、レストランを選んでいるのです。であるならば、ただ単に主観的な、けれども、懐を痛めて書いた「田中康夫の嫌いな店」という今回の原稿も、その存在くらいは許されるでありましょう。

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