社員食堂で定食Aの夫を尻目に妻はフランス・コルベール展

たとえば、コンサートとか映画、芝居といった類《たぐい》の代物《しろもの》は、あらかじめ、先方が定めた時刻までに会場へ行かなくてはなりません。そうして、お目当ての“パフォーマンス”とやらが始まったならば、今度は、やって来た人たち全員が同じ方向に顔を向けていなくちゃいけないのです。不気味です。

おまけに、「あっ、今の曲、もう一度聴きたい」とか、「この場面でストップさせて、しばらくの間、見ていたい」などといった、観客一人一人の我儘《わがまま》を通すことはできません。先方のご都合に従って拝聴、拝見するのみです。

コンサートの場合などは特に、でしょう。「アンコール」と叫んでさしあげなくちゃいけないからです。拍手をしてると、外国から出前をしにやって来た、アーチストと称する人が、ガムをクチャクチャとかみながら再びステージの上に登場。で、予《あらかじ》め決まっていたアンコール曲を、ズンチャッチャ、ズンチャッチャ。拝聴している方は、「すごい、感激だぜ」という感じで、「ウワオーッ」と、またもや、大声を上げることになります。

ところで、僕《ぼく》の驚きは、それだけにとどまりません。アンコールが二曲終了すると、それまであんなに興奮していた観客の少年少女が、ごくごく普通の表情をして、おまけに整然と歩いて中野駅まで。そうして、これまた、ごくごく自然に、初乗り運賃区間の切符を買って家路についてしまう、この現実に対してもなのです。

それに比べると、展覧会は気分であります。もちろん、通常、朝から夕方までしかオープンしていないという制約はありますけれど、期間中、都合がいい日の好きな時刻に訪れることができます。「今日は晴れているから、お庭もきれいな白金台の畠山《はたけやま》記念館へ行って、茶の湯の道具を見てこよう」「今日は雨だから、京橋のブリヂストン美術館を訪れて、ついでに、雨のオフィス街を味わってこよう」。おセンチ少女よろしく、一人で作ったストーリーの中に、自分自身を置くことができます。

そして、気に入った展示品を見つけたら、何分でも見ていることができます。逆に、つまらなければ、すぐに出て来てしまっても平気なのです。もちろん、途中で出て来てしまうのは、展覧会ではなくとも可能でしょうけれど、でも、それには、多少の勇気を必要とします。かくのごとき理由で、コンサート、映画、芝居には滅多に行かないこの僕も、展覧会に行くという「知的行為」に関しては、まあ、人並みに行っているのです。

四月一日から五月一二日まで、白金台の都庭園美術館で、「フランス・コルベール展」が開かれました。一九五四年に生まれたコミッティ・コルベールという、「良質で創造的最善のフランス伝統を新しい時代に残し、それを広い大衆の手の届くところにおこう」とする委員会が主催した展覧会であります。

なんでも、百年戦争後のフランス経済を軌道に乗せたコルベール蔵相の名にあやかってつくられたというこの委員会は、洋服、装飾、香水、ブドウ酒、宝石、織物、食器なんぞの、所謂《いわゆる》、一流ブランドを製造しているメーカーが七〇社ほど集まって構成されています。今回は、バカラ、シャネル、クリストフル、ジバンシー、ゲラン、エルメス、ルイ・ヴィトン、デュポン、ヴァン・クリフ・エ・アペルといった、もう、皆様、先刻ご承知のブランド四五社が一堂に会しての、商品展開催でした。

たとえば、エジプト国王がブシュロン社に作らせたシガレット・ホルダー。イラン建国二千年を記念して国王がポルトー社に作らせた金糸刺繍《ししゆう》のテーブルクロス。インドの藩侯マハラジャがモーブッサン社に作らせたプラチナ、ダイヤ、エメラルドの首飾り。

大英博物館でもルーブル美術館でも、ヨーロッパにおけるその手の場所には、よその国から掠奪《りやくだつ》してきた戦利品ばかりが、まるで自分の国の文化的成果であるかのように飾られているものなのですが、今回の展示品は、それとはかなり趣を異にするものでした。

「ご注文に応じて、手前どもが謹製させていただきましたものでございます」という偉大なる農業国フランスが、今日、ブランド商品の上顧客《とくい》である大金持ちが生息するアメリカ、中近東と並んで、一人一人は中顧客ではあるものの、その数がやたらと多いため、トータルとしては大変に結構なものになる、それぞれが、目先、自由に使えるお金を持つ小金持ちの生息する日本に、「手前どもは、こんなに値の張るオーダー・メイドもお引き受けいたしておりますので、今後、よろしくお引き立てのほどを」って意味合いの秋波を送ったものだったのです。

ま、もっとも、誇り高き伝統と文化の国でもありますフランスのことでありますから、モナコのカロリーヌ王女が御愛用のディオールのドレス。サラ・ベルナールが御愛用だった金やレース模様のプラチナを素材にリボン結びのデザインにしたブローチ。ナポレオン三世のウージェニー皇后なる人物が御愛用の、金やブリリアン・カットのダイヤ、真珠などをデザインした首飾りブローチなんぞも展示して、「エヘン、どうだね」というところも忘れてはいませんでしたが。

旧朝香宮《あさかのみや》邸であるアール・デコの建物が、とても脇《わき》に首都高速が走る都心にあるとは思えない緑色が目にまぶしい広大な敷地の中に建つ、都庭園美術館で開催されたフランス・コルベール展。果たして、一〇年前の日本で開かれたら、こんなに大勢の人がやって来ただろうかと思うくらいに盛況でした。

ただし、その大部分は、老若《ろうにやく》男女ならぬ老若女だったのです。もちろん、男性もいなかった訳ではありませんが、文化服装学院っぽいか、もしくは、彼女のお供で仕方なく、の少年ばかりでした。

夫が、社員食堂で二八〇円の定食Aを食べて頑張《がんば》ってる間に、その妻は、お友だちと一緒にフランス・コルベール展へ出かけ、そうして、帰りには西麻布のビストロでランチを楽しむのでしょうか。勝負、あった、という感じを受けました。

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